Nepal

Walk not drive


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Part 1
カトマンズへ
チトワン

ポカラ

Part 2
タシリン・チベット 難民キャンプ
おばあちゃんにナンパされる
ポカラ
馬に乗る
カトマンズ再び
パタン

ナマステバンド

Part 2

  絨毯を織る?!-Weaving Carpet at Tashiling Refugee Camp

Tashiling のチベット難民村の入口、僧院が建っている。
おばさんに招き入れられて中に入る。ここには15、6人の僧がいるという。チベット仏教の寺院自体はモンゴルでみたせいか、さほど違和感もなく、右回りにマニ車をまわしながら寺院のまわりを2周。寺院内の巨大なマニ車の方は、数人がぐるぐると回しながら歩いている。テンポがうまくとれないと、前の人の足を蹴飛ばしてしまうことに。そのうち目がまわってくる。トルコのぐるぐる回る宗派のダンスを思い起こした。宗教的陶酔の境地に入るには回転が手っ取り早いのだろうか。

村中に土産物屋の出店がだされようとしている。朝早かったせいか、まだ店先に品物を並べている最中だった。店先の呼びこみをかわしながら、村の奥、絨毯工場がある広場にでる。


絨毯織なのだ

広場でうろうろしていると、絨毯工場の女の子が中に手招いてくれた。薄暗い中には、絨毯の織り台が10台ばかり並んでいた。その前に女の子たちが1人づつ座って、絨毯を編みこんでいる。木のベンチ。右横には、編んでいる絨毯の図案がビニールの袋に入って置いてある。ある女の子の右横にあったのは、お土産用の鹿の図案だった。

下手くそながら、作業中の女の子をスケッチ。興味津々の他の子達が集まってくる。年齢は10才前後か。できあがったスケッチに似てる、似てないと大騒ぎになる。(といっているように感じた)。はにかんだ笑顔がなんともいえない。写真をとったり、結び方を習ったり、仕事の邪魔をすることしばし。暗い室内とは対照的な、明るく楽しそうに働く彼女達だった。


  オバアチャンにナンパされる?!-Tashiling Tibetan Refugee Camp

 

絨毯工場を抜けて、住宅街の広場に入る。真中に仏塔が立っている。その周りをゆったりとマニ車を回しながらあるいているおばあちゃんがいた。

広場を囲むように

そして、タシリンで、おばあちゃんにナンパされるのである。

 

  ポカラで馬に乗る

ポカラで Pony Trek の看板を発見。半日3時間で1300ルピー(約19ドル)。ぺワ湖の北岸を行って帰ってくるルート。

Lake Sideのトラベルエージェンシーで、電話して予約してもらい、約束の時間の昼過ぎにエージェンシーの前で待つ。

今日もBandh。午前中には開いていた店が、次々とシャッターを下ろし始める。商売はしたいが、スト破りで投石され、ショーウィンドウを壊されるほうが大変だかららしい。エージェンシーも半分シャッターを閉めて、けん制モードに入る。時間になっても馬が来ない。ずいぶんと待ってから、道の向こうから馬が1頭駆けて来て、通りすぎていった。あわててエージェンシーの人が通りに飛び出していく。

馬に乗っていたのは、少年ティーン。小さいながらも、馬の扱いは堂に行っている。

途中で、香港からの母娘と合流して、Lake Sideの商店街から、ペワ湖に沿った道に出る。すぐに湖畔にのどかな田畑が広がりはじめる。Bandhのせいだけではないだろうが、みんなが土の上を歩いたり、自転車に乗って行き来している。道が大きく曲がったところで、白く長い布をもった行列に出会う。何だろうと思っていると、葬式だった。行列はポカラの町の方に向かっていた。町に近いせいか、観光客やトレッカーも多いせいか、だいぶ田舎とはいえ、町の暮らしぶりの影響が見て取れる。とはいえ、のんびり。日差しは暑いくらい。ときどきトロットしながら、抜きつ抜かれつ。馬上からの景色は最高。

湖の端の方までやってきて、一休み。馬を路上に止めるも、杭を抜いて動き出してしまう。何度か杭を打ちなおして、田んぼのあぜに座って休憩。目前に、養殖いかだから今しがたあげた魚を手に父さん、母さんがあがってくる。後できいたが、養殖いかだの技術は日本のNGOからの援助だったらしい。香港からの母娘の娘の方は、今はカトマンズで英語を教えているとか。お母さんを呼んで、休暇でポカラにきたとか。ポカラの町映が遠くに見える。ここからは雪を頂くアンナプルナは見えない。その分、まわりの景色もおだやかに感じられた。

帰りものんびり。。。ティーンは始終歩いたり、走ったりしていたから、最後の方では、ティーンも馬の上に引き上げて、みんなでキャンターやトロットで町まで戻った。町の近くでは、人々があぜに座って、空中のハングライダー大会をのんびり観戦していた。元旦の午後、楽しい散策だった。

..

  Pohkara

2日もBandh である。車がないということは、こんなに静かなものだろうか。LakeSideとDamSide

マッサージ屋。おみやげ物屋。レンタルトレッキング屋。

  Anna Purna

3日。ようやくBandh が終わる。菜の花ロッジの彼は毎朝私にお茶を運び、簡単なネパールの挨拶などを教えてくれた。そして3日の朝、近所の車をチャーターして、暗いうちにポカラを抜けだし、山へ向かって1時間。ノーダラへと向かう。

アンナプルナを一望するためだ。ポカラからアンナプルナを望むには、町から

On the way to Nodara, I saw a Tibetan funeral procession. I've been told later that there was a Tibetan refugee camp in the north of Pohkara as well.

Himal と daira

ジョモソンからさらに北へ。

 


風が見える

 

  -> Kathmandu

またまたBandh (バンダ=ストライキ)だという。全国規模のゼネストではなく、ポカラのローカルスト。理由は、前日ポカラのタクシーの運ちゃんがタシリンのチベット難民キャンプ近郊で、投石で殺されたという事件に抗議してとのこと。朝のうちに車で山に朝日を見に行っておいてよかった。ということで、空港まで10分ほど、ロッジのお兄ちゃんのバイクの後ろに乗せてもらって走る。荷物を背負ったままバイクの後ろに乗るのは、以外と腹筋が必要だ。 日ごろちゃんと鍛錬しておくんだった。

案の定、飛行機は遅れた。カトマンズの霧で飛行機が飛ばないのだという。カトマンズとポカラ間は約20〜30分のフライト。飛べばすぐだが、冬のカトマンズは特に朝は盆地特有の霧が厚く覆うことが多いという。 2階建ての空港ビルの前庭や屋上は、フライトを待つツーリストや地元の人で人だかり。といっても、明るい青空の下、悲壮感はまったくない。なんせ、滑走路には機影はないのだから、焦っても仕方がない。ひたすらカトマンズからの飛行機を待つ。

飛び立つ飛行機は、ジョモソンに飛ぶものと、遊覧飛行だけ。昼過ぎになってようやくカトマンズから飛行機が飛んできた。拍手が起こる。カウンターのお兄ちゃん方は、人数の割にはまったく非効率。携帯に向かって叫んでいるだけのやつ、帳簿と睨めっこのやつ、ただただうろうろするやつ。ちょっとでもえらそうやなつを捕まえて、なんとかチェックインさせるまでにさらに小一時間かかる。

待ち時間の間に、カトマンズ空港でNGOの仕事をしているという商社マンに出会う。娘さんと一緒だが、娘さんはなんだかそっけない。

 

ロイヤル・ネパール航空 reconfirmation の巻

いまどき、reconfirmationである。それも、カトマンズのオフィスに出頭してリコンファームしないとダメだという。

 

 

  Patan

   

  Namaste band

 

  Back to the Crazy world

 

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