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Iceland / Greenland

Part 4 Entrance to the underworld / London

  Pingvellir

シングベトリール。シングベトリール。
アイスランド語の軽妙な舌捌きとリズムが心地よい。直接民主主義の地。ギャウ。大地の裂け目。

レイキャヴィークから北東へバスで小一時間。アイスランド最大の湖だというシングヴァトラヴァトン湖の北の端。バスはまず台地のはじっこで停車。その後、キャンプサイト、最後にホテル前に泊まる。とりあえず、ホテル前までいくと、まさに湖畔。目の前に小さな教会。そして、20mかそこらの溶岩の崖の下に、アイスランド国旗がはためいている演説台のようなものが見える。

この地の裂け目に絶妙に位置する演説台とそこから広がる谷。ここに、アイスランドの住民が年1回集まって、さまざまな政を行ったという。ガイドブックによれば、「西暦930年世界で初めて民主議会を開き、憲法を制定し、議会民主政治を確立した地。「聖なる場所」そして「世界の議会の母」として、アイスランドの人々が世界に誇る史跡である。大英帝国のマグナカルタ(大憲章)の制定が1215年であることを鑑みればその偉大さが知れる。」とのこと。見晴らしは最高。かつてはここに何万人という人が皆テントを張って議会に望んだそうだ。各地からえっちらおっちら歩いて、あるいは馬で集まってくるのも大変だと思うが、自分たちのことは自分たちで考えて決めるというその姿勢に、今のアイスランドの人たちの基本的な生き方を見る思いがする。

演台のちょうど向かい側のギャウのひとつに水が溜まっている。かつてそこは刑罰をいいわたされた人が沈められた淵だそうな。幅は3メートルくらいだが、結構深そうなその淵の脇に立つと、足がすくむ。裁きをするということは、罰するということ。どちらも相当の覚悟が必要なのだ。改めて考え込んでしまう。

湖にむけて一気に走るギャウ。左側が一段上がったほう。その裂け目には滝から流れ込んだ水が流れを作っている。この裂け目、ユーラシア大陸とアメリカの分け目だそうだ。アイスランドは、ちょうど大西洋中央海嶺の延長上。海嶺のてっぺんにある幅数10Kmの地溝帯が、地上に現れたところ。通常、この地溝帯、海面下1、2kmのところにあるが、地球上で2箇所だけ、地上に乗り出しているところがあるとか。そのうちの1箇所がここシングヴェトリールなのだそうだ。

ひとつ一つの割れ目は長さ数キロ,幅も地表面からの深さも30m程度だが、このような割れ目が雁行して延々と連なって、アイスランドをほぼ南北に貫いている。このため、アイスランドは東西に毎年約1cmずつ(合計2cm)広がリ続けているそうだ。

裂け目に沿った舗装された道に沿って、結構な数の観光客が歩いている。ぞろぞろ歩く気分ではなかったので、溶岩の上を歩いていく。岩の裂け目にも、小さな花や植物が見える。夏の終わりとはいえ、まだまだ緑がきれいな季節。流れる水音と風の音を楽しみながら、見晴台のわきのバス停へ。湖から、さらに奥の谷まで、壮大なパノラマが眼前に広がる。風の冷たささえ耐えられるのであれば、いつまで見続けても飽きない景色だった。

  Snaefullness

スナイフルネス。地底探検の入口。ジュール・ヴェルヌの地底探検。かつて学校の図書室でむさぼり読んだ冒険小説の中でもお気に入りの本だった。このスナイフルネスの火山の火口が、地底への入口と想定されていた。火口を覗き込むわけではないが、せっかくアイスランドまで来たのだし、乗馬ツアーでまわった島の南側とは違った景色が広がっていると聞いて、レイキャビックからツアーバスに乗り込んだ。

小さなマイクロバスに、ツアー客7、8人。運転手兼ガイドが、通り過ぎる町や景色を解説していく。しかし、その語り口が妙に言い訳がましいのだ。トンネルも、フィヨルドにかかる橋の説明も、昔捕鯨基地だった工場跡の説明も、すべてその跡に、「実は、」「そうはいっても」「まあ、こんなところですが」。。。みたいな自虐的な説明がもれなくついてくる。アイスランドの人は、アイスランド語で、みんなこんな話し方しているのか?とちょっと考えてしまった。それでなくてもアイスランド語は哀愁が感じられるイントネーション。言葉は人のキャラクターも左右していくのだろうか。

最初に到着したのは、スナイフルネス半島の北の付け根にある町。そこからボートに乗り換えて、パフィン見学に。海にでると、さらに風は冷たさを増す。湾内に大小の島々が点在している。松島の大型版。湾内とはいえ、場所によっては結構風も強く、揺れる。海鳥の巣がある岸壁に接近したり、パフィンが波間を飛んでいくのをみたり、島に馬を放し飼いにしているところもあった。ガイドが右に左に見えてくる島の由来や、鳥たちの説明を続ける。甲板にでると寒いので、みんな甲板と船内を出たり入ったりしている。

一通りバードウォッチングしたあとは、船に装備されているトロール網を下ろして、トロール開始。10分ほど引いた後、網をあげると、牡蠣やウニ、カニなどが上がってくる。いずれも小ぶりとはいえ、れっきとした取れたての海の幸だ。甲板上で、船員の人たちが観光客である私たちのために、牡蠣を開いて食べさせてくれる。最後まで牡蠣やウニにかぶりついていたのは、日本人(私と、一緒のツアーにいた英国留学中の日本人学生の2人)と地元の家族数人のみ。他の人は、乗船時に注文した、やたらと高いサンドイッチなどを船内で食べていた。あー、あんなにおいしいものがあるのにもったいない。アイスランドからも輸入してまで海の幸を食している国の民。寒さにめげず、食中毒など気にせずにばくついた。

1時間半程度で、出航した港に戻り、バスツアー再開。北の海岸は、崖が海岸線まで迫っていて、少しの牧草地の周りに小さな家が寄り添って村を作っている。途中に、とっても印象的な村があった。海岸沿いに垂直に山が突き出し、そのふもとに漁港。わきに小さな民宿らしきところ。乗馬もできそうだ。今度来るならここで泊まりたいと思わせる村だった。

途中も、崖から落ちる滝が幾筋も見える。雲が低く垂れ込めているので、山のほうは雲に隠れて見えない。雲から滝が落ちているようにも見えた。

半島の先端に向かうにつれ、切り立った崖がさらに高くなる。以前は、崖の中腹を細い道があっただけで、よくがけ崩れで通行止めになったという交通の難所。ようやく近年、道が作り直されて、車も通れるようになったという。崖の上を、無数の鳥たちが舞っている。この崖に営巣するために飛来するのだとか。人を寄せ付けないところほど、動物たちは安心して住めるのだろう。

半島の先端にでると、ちょっと広々とした空間が開けていた。道は舗装の最中。道路工事も季節のよい時期しかできないだろうから、なかなか進まないのだろう。半島の先端に位置する、地底への入口の火山もすぐ目の前だ。山頂は雲に隠れてまったく見えない。ちょっとがっかり。火山が噴火すれば、この道も、ここの村もどこへ逃げるのか。溶岩が流れた爪あとの残る大地をバスはがったんごっとんと大揺れしながら進んでいく。ツバメがたくさん飛んでいるのがみえた。

バスは、そのふもとの小さなカルデラの中に入っていく。一度は地底の熱いものを噴出していた口も、今では軽石にふさがれて、バスごと中に入ると、そこは20mちょっとの空間。その周りを10mくらいの赤い縁が囲っている。記念撮影をして、さらに先へ。今度は海岸へ。洞窟のようになったところに、海鳥が巣を作って団地状態。北の海岸とは異なり、南の海岸は海と山の間が広がって牧草地も多い。少しだけマイルドな感じがする。聞こえてくるのは、波の音と、ひとしきり散策して、帰途に着く。

途中、さらに、ミネラルウォーターのでている家によって、鉄分の多い、刺激の強い水を飲み、砂地の海岸にでて、アザラシとツバメを眺める。

Swallow。といえば、アフリカツバメとヨーロッパツバメのモンティ・パイソンのコントを思い出すが、ここのツバメは極地ツバメ。Arctic Swallow. 黒い頭がなぜかとってもスマートに見える。草地に巣を作っていて、1、2m間隔で番いがたっている。すーっと垂直に飛び立ったかと思うと、空中でもホヴァリングしたりと、優雅な飛行に、カメラを振り回して姿を追った。

帰りのバスの中ではカントリーウェスタンがラジオから流れてくる。どうやらここでは、まだ70年代、80年代の音楽。またカントリーウェスタンが流行っているらしい。アイスランドの音楽といえば、ビヨーク、という位の知識しかなかったわけで。なんだか懐メロ大会のようだ。レイキャビックに戻ると、Cold Play のCDが店先に並んでいたが。

レイキャビックでは、最後の夜ということで、ツアーで一緒になった日本人学生と身分もわきまえず高級レストランに突入。昔の邸宅そのままのレストランで、パフィンを食べる。まあまあ。隣のテーブルでは、地元の家族が会食中。あー、ここもヨーロッパなのね。古き良きヨーロッパの姿に、東洋の乙女2人はなんとなーく居心地の悪い思いをしつつ、精一杯どうどうと食して、ようやく暗くなった街に戻っていったのでした。

  London

云年ぶりのロンドン。空港からパディントン・エクスプレスというのができて、ヒースローからパディントンまで15分で到着。今までのTubeで1時間近くかかって市内入りしていたのはなんだったんだ?!やれば出来るじゃん。

テート・モダンに出かける。展示方法がテーマ別で面白かったが、こちらが興味をもったのはJoseph Beuysの展示コーナー。1個人の変遷がまとまって見られる展示が、個人的にはわかりやすいし、興味がある。Beuysの Coyote が特に印象深かった。

ちょうど、行きの飛行機内でみたBritish Comedy の番組で、Tate Modern が槍玉にあがっていた。2人のイギリスのおばさんが、インテリぶってTate Modernのエスカレーターをずんずんあがっていく。展示コーナーもすりぬけ、向かったのはティーコーナー。徐にお茶して、あーよかった、と帰っていくというスキット。こちらも、さんざん見て回って疲れたので、ベランダにでてコーヒーを飲む。なぜかロンドンでは、スタバなど、アメリカンなコーヒーショップがブームのよう。昔イギリスで飲んだコーヒーより格段にうまいが、しかしなぜここでコーヒーなのか。自分でも腑に落ちない。やはりイギリスは紅茶が似合う。とテームズ川に向かってぶつぶついってみたりする。

帰りは、パディントンのホテルまで、ロンドンを横断するように歩いて帰る。チャイナ・タウンも、リージェントストリートも、オックスフォードサーカスも、ちゃんとした英語はほとんど聞こえてこない。聞こえてくるのは、外国語ばかり。中心部は完全に観光客か移民に占拠されている感じだ。イギリス人は郊外に住んで、オフィスには通っていても、夕方のロンドンを散策するより、家路についているのだろう。通り1つ、曲がればそこは中近東。という場面も。男たちがカフェの周りに集まり、水パイプをふかしている。パブもあるが、ケバブ屋やカレー屋のほうが目立つ。

翌朝、ハイドパークを散策する。午後の便までまだまだ時間がある。アイスランドの木のない大地を見続けた目には、大きな木が茂っているだけて、豊かさを感じる。ケンジントンガーデンの、Duck Pondまで行き、ナイツブリッジまで横断して、ハロッズでハギスを購入。帰りに、乗馬のレッスンを受けている上流階級らしき女の子たちとそのお母さんたちの優雅な日常を見学する。公園内に"manege" というガイドがあるところは、馬のレッスン場。もともとmanege は馬と人を訓練すること。転じて、manage、management となっていったそうな。乗馬のレッスンは、そういうマネージメントの訓練なのかもしれない。小さいときから、そういった訓練をしていれば、大人になってから人をきちんと使えるようになるのだろう。上流階級恐るべし。

ハイドパークの馬達は、手入れが大変行き届いていて、その優雅な尻尾さばきに見とれながら、ため息をつく。ビジターでも乗馬はできるそうだから、いつかは挑戦してみたい気もするが、所詮優雅な乗馬に縁のない身。やはりアイスランドの大地で四苦八苦しているほうが、性にあっている。人工的なハイドパークと自然のすべてが生まれたままの姿であるアイスランド。今の私には、アイスランドのほうが魅力的。人の好みも徐々に変遷。


★★★
  Itinerary
Date
Destination
8/17
Sat
Tokyo -> HTL -> Reykjavik
8/18
Sun
Reykjavik -> Hella
8/19
Mon
Hella ->
8/20
Tue
-> Landmannahellir
8/21
Wed
Landmannahellir-> Landmannalauger
8/22
Thu
Landmannalauger -> Landmannahellir
8/23
Fri
Landmannahellir ->
8/24
Sat
-> Hella
8/25
Sun
Hella -> Reykjavik <-> Pingvellir
8/26
Mon
Reykjavik -> Kulusuk (Greenland)
8/27
Tue
Kulusuk -> Reykjavik <-> Blue Lagoon
8/28
Wed
Reykjavik (Snaeefullness)
8/29
Thu
Reykjavik (KEF)-> London (HLT)
8/30
Fri
London ->
8/31
Sat
-> Tokyo

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