旅程
7/12 (SUN) ウランバートル 7/13 (MON) ウランバートル-カラコルム 7/14 (TUE) カラコルム-Khujur 7/15 (WED) Khujurt-Waterfall excursion 7/16 (THU) Khujurt - Piece of Sand 7/17 (FRI) Piece of Sand - Ulaanbartar 7/18 (SAT)
Ulaanbarter - Khenti Mountain |
ウランバートル到着
Webサイトで予約していたツアーエージェントの迎え。エージェントのボスのドイツ人。モンゴルに5年住んでいるとか。
迎えの車はBMW、ただしおんぼろ。車の窓から、山の麓に遠く砂埃が見える。ナーダムの会場だ。今日から馬のレースが始まっているという。その向こうの山の斜面にモンゴル式移動テントのゲル部落が見える。ナーダムに参加している人たちのゲルだ。
工場地帯を抜けると、ちょっと寂れたアパート群を通り抜け、中心部のホテルへ。ウランバートルホテル、一様由緒あるホテルらしい。
5階建て、立派な玄関。左側に小さなストア、部屋は2階の内側だった。荷物を置くと、すでに昨日からツアーの日程を消化しはじめたグループと合流すべくゲルレストランに向かう。残念ながらグループの人影なし。ホテルに戻って、1階の食堂で軽い夕飯を食べ「驕Bスープがおいしい。
ナーダムのパレード
エージェントの人が帰ったあと、午後9時過ぎにホテルから100mほどのところにある広場に散歩に出かける。広場は人で一杯。ひらひらのドレスを着た女の子、伝統的なモンゴル衣装を身に纏ったおばさん・おじさん、ジーンズに Titanic
の Tshirt を着た若者、馬に乗ったもの、ハイヒール、ブーツ、みんなおめかしして家族そろって車、歩きで広場をめざす。
ナーダム(Naadam)のパレードがやってきた。まずは軍楽隊。トラックの上でマーチを奏でる。なかに日本の鉄道唱歌のメロディーのものがあった。パレードは、バスやトラックを改造して、その上にそれぞれ思い思いの格好でパフォーマンス。モンゴル時代劇風の衣装をまとった俳優陣、サーカス曲技団員、極めつけは、羊の剥製をバスの上に乗っけた若者たち。サングラスをかけ、ラップのリズムにのって身をくねらせる。モンゴル語のラップグループだった。馬に乗っ「ト人垣の上から眺める人たち。馬もじーっと見入っている。 |
MongolianRapper
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午前中はウランバートル市内の見学。まず最初にガンタン寺に向かう。ここは、 チベット仏教の寺 。仏教大学としても機能しているという。 正面に最近できたという巨大な大仏(立像) 。右手にあるこじんまりとした寺の前には五体投地用の板が置かれている。マニ車をまわしながら、右回りに寺のまわりを回ると、裏手の壁の溝にマッチ棒が蝋にまみれて押し込まれていた。意味はガイドに聞けども不明。
境内にあった柱:処女の少女が生き埋めにされたあとに生えてきた木を、大火のときにある男の人持ち上げてそのときの指のあとが残っている?!という曰く付きの柱。ガイドが説明している間も、参拝のおばあさんが柱の周りを右回りに回っていた。
次に向かったのは、自然史博物館。Dinosaur の化石がメインの展示物だ。モンゴル一帯では恐竜の化石が数多く、発掘されている。 あとは、モンゴルにいる生物、鉱物の標本の山、山。残念ながら、モンゴル語でかかれているので、よくわからない。2階分をぶちぬいた展示室にあった恐竜の化石は圧巻。
ナーダム、ナーダム
昼食後、市外のスタジアムに出かける。ナーダムのレスリングの会場になっている。
スタジアム外の駐車場から、すでに屋台がたくさんでている。ケースに入ったビン入りジュースを売る人、食べ物、ゲームに昂じている人などなどをかき分けて、スタジアムの会場に向かう。
チケットをみせて会場に入る。すでにレスリングははじまっていて、客席はほぼ満員。私たちが入ったのは日陰の席で外国人観光客専用だった。中央の席には、大統領が座っているとか。なんでも最後まで観戦するらしい。
レスリングは勝負がつくまで延々とやるそうなので、毎回夜半近くまで大統領は座っているそうな。
ナーダム会場のスミジアム: 中央ではレスリング、トラックでは昨日の競馬レースの優勝者が景品をもらってパレードして帰っているところ。トラックでは、このあと、なぜか男女混合リレーが行われた。トラックの中には当然馬の落とし物あり。リレーの最中にもレスリングはやっているし、レースの表彰はまだやっているしと、いろいろなことが並行してしごく当たり前に行われている。 |
ナーダムの入場券:右端の文字が旧来のモンゴル文字 |
馬、馬、馬
ナーダムの競馬会場へバスで移動 。会場はなんといっても埃塗れ。あいにくレースはすべて終わっていた。人々が馬に乗って帰路につく。あれだけたくさんの人馬が一同に集まっている光景は圧巻であった。なんでも1万2、3千頭の馬が集まっていたそうな。
帰り道、モンゴル流渋滞に巻き込まれた。レース会場にいた人達、当然馬だけでなく、車で観戦にきていた人たちもいっせいに帰る。車内は満杯、バスに乗りきれない人が道にあふれる。道は1本。渋滞である。モンゴルのトラフィックジャム:、実は馬が道を横切って川まで水をのみに行くため、馬が横断するのを待っているための渋滞だったのだ。
モンゴルバラエティショー
7時からモンゴル劇場で歌や踊りのショーを見る。まずは時代劇。ハーンと思しき王様と后の前でバレー。馬頭琴やホーミーの演奏。曲技団の演技もあった。フィナーレは馬頭琴楽団による合奏で、「美しき青きドナウ」。ベースまで馬頭琴型なのにはびっくりした。1時間あまりのショーだったが、期待していたよりはずっと良く、楽しめた。
ボーズ
夕飯にボーズを食う。ボーズとは巨大餃子のようりもの。モンゴルの正月の料理だとか。オーダーしてから30分待たされる。おいしいけれど、一皿たべると脂ぎってしまう。
夕飯の最中も、テレビでは、ずーっとレスリングをやっていた。
草原へ
正午、ウランバートル発。町をでるところに検問がある。(町に入るときには通行税がとられた。)
草と山。ステップ。延々と続く。炎天下、日陰がないので道端でバスをとめてランチ。チキンと米を手で食べる。
いったい、このチキンはどこから来たのか?が今後の食事時の話題となる。
牛、羊、馬はうじゃうじゃいるが、チキンはどこにも見当たらなかったからである。
食後、残り物を草原に捨てて先へ。馬、羊、牛がこれだけのびのびとしているところはほかにないかも。
Finding the right GER Camp is the game for Mongolian?
Piece of Sand のところで道に迷い、ほかのゲルキャンプにいってしまう。Bayan
Gobi から、日本人のグループが馬に乗って現れた。その後また道にィき返し、正しいルートにのったと思ったら、道路工事のため、道なき道を進むことに。おまけに雨が降ってきて、水溜まりを避けながら走ること2時間。不思議と酔わなかった。ゲルキャンプの場所がわからず、人にききながら3度目に到達。飛行場のとなりと聞いていたが、飛行場はただの草原にいくつか印がついているだけというもの。これは天気がよくないと飛行機は飛んでこれないなあ。と思っていたら、案の定悪天候で飛行機が飛ばなかったフランス人の一行が出発できずに我々が予約していたゲルキャンプに連泊していた。仕方なく、100mほど離れた隣のキャンプへ。
みんなくたくたになっていただけに隣が近くてよかった。
ホーミーに酔う
9時過ぎ、ようやく夕飯に。夕食時に楽団の演奏あり。 ホーミー(Throat Singing)
は、倍音唱法というのだそうで、大きく次の4つのタイプに分かれる。
Throat Singing の4つの唱法:
2) Throat 3) Tongue 4) Lung -> ベースの音のほかに、Melogy が口笛のように音がでている |
草の匂い、雨の匂い。はじめてのゲルでの一夜。
エルデニ・ゾーの城壁と僧院
Khujurt へ
舗装した道をはずれて、Khujurtに向かう。 草原の真ん中を電柱が連なっているだけで、前に車がとおったところが道となっている。3時間ほど走ったところで、ようやく大きな集落が見えてきた。Khujurtだ。
Khujurt のゲルキャンプは町外れにある。となりはサナトリウムだそうだ。有り難いことにここでは温泉のシャワーがある。
泊まり客が増えるということで、ゲルをもう1つ組み立てている。1時間とたたないうちに完成してしまった。
夕食まで時間があるので、町外れの丘を登る。羊や馬の骨があちこちに落ちている。 2,30メートル程度の丘に登りはじめたとたん、風、風、風。 セーターをきて、スキー用のジャケットを着ていてもまだ寒い。と、突然、反対側に青い山、草が一面に広がる。ほんのすこし歩いただけで景色がこんなにも違うのか。丘の峠に、ドルメンがあった。 石を集めて、誰が作ったのだろうか。
キャンプに戻ると、イタリア人グループが食べ物と泊まる所の件でけんかしている。それを横目で見ながら、こちらのグループは、ウランバートルで買ってきたというモンゴルヴォッカ”ジンギスハーン”やピーチヴォッカを飲んでゲルの入り口付近でカクテルタイム。夕焼けがきれいだ。星も瞬き始めた。
3時間のジープ、オフロードの旅へ出発。
8時半起床。ジープ3台に分乗して、オルホン滝にピクニックに行く。ドライバー、われわれの乗った黄色いジープは先頭を走る。オフロードの醍醐味十分。途中で何度か止まって Photo Session を行いながら、3時間。 川にはたしかに魚影が。5cm位の小さい魚だったが。 |
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滝は15m位の高さ。滝の無効にゲルが見える。滝壷から川は断崖の下にあり、下に降りると風がない。木も高くそびえている。
下に降りて、川辺でルアーを投げたが、魚影がない。流れがあるのであたりもわかりにくく、たいへん。まだまだやることはありそうだ。 帰り道もドライバーが一目散に車を飛ばす。川で水を汲んで車に飲ませたり、魚はとれたがとシールを指差しながら聞かれたり、紙切れ1枚で会話を試みる。 お願いだから後ろを見ながら運転しないでほしい。といいつついい加減な乗客は『ヤブホー=Let's Go』と大声で叫びながら車は進む。 |
モンゴル家庭に上がり込む
町に戻ってから、散策する。丘の上の Shanty Cottage 群。木の柵の中庭では野菜を作ったりしている。上半身裸のおやじがあわられて、フェルトのマットのデザインをするおばさん、子ども5人のいえに入る。
ミルク・塩入りのお茶と乾燥チーズでもてなしをうける。
(見取り図)
屋根裏にはゲルの杭が収納されている。テレビあり。日本の紹介雑誌あり。決して飛びぬけて裕福そうではないが、なんとかくらしていけるのだろう。写真と取らされ、送ってくれと住所を交換し、お礼をいってキャンプに戻るべく家を辞す。
サナトリウム潜入・・・
キャンプへの帰り道の途中、サナトリウムに入る。4階建ての病院かホテルのような外観。1Fの受付にはきれいなお姉さん、1Fから2Fに入るが、男性数人にはばまれてそれ以上中に入れない。仕方なく建物の外に出ると、ベランダにもの憂げなおばさんがちらほら。ほんとうはなんだったのだろう。
イタリア人団体は去った。温泉シャワーを浴びて、犬の鳴き声が溢れる静かな夜が始まった。
このゲルキャンプは、さらにウランバートルに近いせいか、ちょっと手抜き。
通常ゲルにかぶせるフェルトは、冬は10レイヤー、夏は2レイヤー。だのにここでは1レイヤーしかかかっていない。3日間降った雨がしみこんでいて湿気臭い。
薪も湿っていて火がつきにくくなっている。寒い。
山腹の僧院まで歩く
キャンプ地のすぐ裏手はカタルニアのモンセラットを思わせる山、岩々。
ハルガイ(草原)を見渡すベストロケーション。裏が山なので、音が反響する。
雨が止むとハエが湧き出てくる。歩いているとあっという間にハエがまわりに集まってくる。
小一時間歩いたところ、崖の上にある僧院を尋ねる。2度破壊される、一度めは250年前。West
Mongolia モスリムに。2度目は1935年、コミュニストに。僧院の麓には、かなり年数を経た木々。岩山から流れ出たさきほどの雨が小川を作っている。ここで僧達は何を思い、修行をしたのだろうか。
羊やヤギの鳴き声が谷間に木魂する。ちょっと岩肌を登ると、ハエもいなくなる。足元にはエーデルワイズなど高原の草花。
幸い、ツアーグループ内に、医者と看護婦が居合わせていた。すーっと降りて状況を確かめたと思ったら、救急道具をとりだして、応急措置に走る。 職業的訓練とはこういうものかとぼーっと傍観しているだけで、自分が何をすべきなのかがまったく判断できずに、ぼーっとしている。 2人が手際よく頭に包帯をまいて止血。 あとの人達の状態を確認し、肩を怪我したおじさんにガーゼをはった。
マイクロバスにオm死の怪我人を運び込む。マイクロバスの入り口は狭いので、背中を折り曲げないと中に横たえることができない。背骨を損傷していると一巻の終わりだが、そんなこともいっていられない。通路に寝かされた怪我人を取り囲むように、かすり傷程度の女の人2人、ショックで震えがとまらない男の子とその母親を乗せて、バスは出発。最寄りの病院に向かう。
きちんとした救急設備がある病院はウランバートルまでない。が、ウランバートルはバスでさらに3時間。そんなところまで怪我人を運ぶ訳にはいかない。
あとで聞いたことだが、医者と看護婦の方は、途中で怪我人が死んでしまった場合に、グループ全員が足止めを食らい、事情徴収されるのだけは避けたいと考えていたそうだ。 人の命はずっしり重たい。
10分ほど走ったところ、右手に小さな村が見えてきた。さっそくバスは水溜まりをよけながら、村へと向かう。途中、一度水溜まりにはまってしまうが、運転手の冷静沈着な運転技術のおかげて3分で脱出。村の診療所はすぐに見つかった。小さな四角いコンクリートの建物だ。バスを入り口のところに横付けする。ガイドと運転手がすぐに建物の中に入る。しばらくしてでてきて、怪我人を運び込もうという。担架はないので、2人がかりで抱えて降ろす。
中の様子がわからないので、バスを降りていってみると、なんと入り口をはいってすぐ、廊下にぬけるところに潜り戸があるではないか! すでに怪我人はその潜り戸を抜けて、病室に運ばれていた。病室を覗き込んだが、ベットのまわりに家族や病院のスタッフが立っていて良く見えない。ベット以外の設備はなさそうだ。左手の廊下はどうやら病室がならんでいるらしい。右側は診察室に通じているのか。手術室は見当たらない。レントゲンもあるかどうか。スタッフが部屋を出たりは行ったりしながら、そこら中の扉をあけている。注射や包帯などの医療用品のストックもほとんど見えない。
我々ツアー一行は入り口に屯して中を覗いているだけ。10分か15分たっただろうか。手助けしていた我々のツアー内の看護婦と女医さんが戻ってきた。「ここには設備はなにもない。怪我人はベットに放り投げられただけだ。残念だけど、私たちのできることはここまで。」 運転手とガイドがでてきて、我々一行はバスに戻る。怪我人に付き添っていた女の人2人がそのまま診療所に残る。男の子と母親は、我々と一緒にウランバートルまで行くことになった。
安堵とやるせなさの充満したバスの中、外は少し明るくなった曇り空。草原もさっきとは違って見えてくる。この広がりが人の命にとって致命的になりうるのだ。車内の話題は車の怖さから保険の話まで、みんななんとか気を紛らわせようとしている。
男の子に、持ってきていたおもちゃをいくつか渡す。野球帽やお絵描き、汽車のおもちゃなど。車に乗りなれないせいか、やはり衝撃で疲れているのか、そのうち胃の中のものをもどして、ぐったりと寝入ってしまった。母親はじーっと外を眺めている。
ウランバートルに近づくにつれて、ゲルの数や、村の数も増えていった。電線も太くなる。
ウランバートルの入り口には、検問所があり、通行税を取られた。バスはまっすぐに病院へと向かう。町の西はずれにある、病院の玄関にバスをのりつける。バスの扉が開くと、オ齊qは振り返りもせず病院の扉の向こうに消えた。実にあっけない別れ際だった。
げっそりやつれた一行はホテルへ。文明の利器に囲まれたホテルで、シャワーを浴び、CNNで日本の総選挙の結果とその後の総裁選のどたばたを知る。まるで異次元の話のように現実味がない。
その夜は、ホテルの側のディスコの騒音で寝むれない夜を過ごすことになった。
第2部に続く。。。