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Iceland / Greenland

Part 3 Greenland

  Greenland

ネーミングは最大のマーケティング戦略。

「Greenland」。この大地に渡ってきたVikingがこの名をつけた。「緑の大地」。ここはいいとこ、一度はおいで。酒はうまいし、ネイちゃんはきれいだ♪ でも騙される人はそうそういなかった。発見以後も西からの移住者はほとんどなく、イヌイットのみがほそぼそと暮らす辺境の地として存在し続けていた。

氷の島から、緑の大地へ。夏の間は、アイスランド航空がReykavikからグリーンランドの東海岸のKurusukまで日に2便飛んでいる定期便を使って、日帰りや一泊ツアーを企画している。せっかくここまできたのだからと、1泊2日のツアーに出かけた。

  Kurusuk
 

Kurusuk。

北極圏まであと数十キロのところに位置するTasiilaq。5つの村と1つの町がある。Kurusukはその村の1つ。人口は350ほど。かつて冷戦時代にレーダー基地があった場所。そのときに作られた滑走路が、アイスランドから唯一の定期便を受け入れる。Kurusukは入り江の入口の島にある村。のこの地域の町であるAngmaksalikまでは、ヘリが飛ぶ。

夏の3ヶ月間だけ、氷が解ける海。その間だけ、補給船がデンマークから到着する。注文し忘れると、1年間待たないとならないという。氷に閉ざされる冬。夏も氷山が漂う海に囲まれた村。

レイキャビックから飛んだ飛行機には、これまで見なかったモンゴロイド系の顔立ちの人たちが乗っている。Kurusukに近づくと、海に浮かぶ大きな氷山が見え始めた。氷河と岩肌の山の間を縫うように飛行機は滑走路に着陸。タラップを降りると、寒い!それでも、到着したその日は、数日振りのいい天気だといわれた。

 

空港ロビー(といっても平屋の建物の20畳ほどの空間)で、ガイドと落ち合って、10数人の観光客が、Kurusuk村ウォーキングツアーにでかける。所要時間2時間。村が小さいのと、日帰りの人もいるので、このくらいなのだという。

飛行機がアイスランドから着くたびに、10人程度のグループが村まで散策、レイキャビックの大学で民俗学を専攻している学生がガイド役を務めている。彼はフィールドスタディも兼ねて、村内に住んでいるという。

ほとんどの人が日帰りか1泊程度なので、外部からの介入で生活習慣が大きくかわっているようには見受けられないようだ。

空港の建物からでて最初に見えるのが、ホテル・クルスク。数年前に新築さえた2階建ての緑の建物。村は、ひとつ丘を越えた向こう側にある。ここで1泊するのは5組だけのようだ。荷物を置いて、チェックインし、日帰りの人たちに追いつく。


古い墓地から対岸の氷河を望む


最初に訪れたのは墓地。

新しい墓地と古い墓地があり、最初に出会うのは新しい墓地のほうだ。なにせ、永久凍土の大地。埋葬は夏にならないと出来ない。盛り土の周りに石を並べ、カラフルなプラスチックの造花が飾られてある。枯れない、色あせないという理由から使われているという。といっても造花も輸入物だ。

墓標には、名前は書かれていない。白い木の十字架がたっているだけ。

名前は大事なものなので、死人と一緒には葬られない。当然墓標にも記載されないのだ。キリスト教を受け入れて墓地を作り始めたのは19世紀以降だそうだが、十字架はたてても、名前についての風習まではそうそう変えられなかったものらしい。

イヌイットと”名前”について解説がはじまる。

とイヌイットは”名前”を大事にするという。”名前”が子供を育てるので、いわゆる”しつけ”は存在しない。つまり、いたずらをしていても、大人は子供をしからない。親が子供を育てる、躾けるという考え方はないそうだ。子供は当然やりたい放題。先祖の名前をもらったりする子供たちは、昔同じ名前を持っていた人の影響を受けながら育つので大丈夫という考え方なのだそうだ。

村に入ってみれば、確かに子供たちはわいわいがやがや、勝手気ままに飛び回っている。大人はわれ関せずだ。それで教育は大丈夫なのか?という質問が、観光客からガイドに飛ぶ。犯罪発生率は?ガイドいわく、子供のときはいじめていても、そのうち高校生くらいになれば自然と落ち着いてくるので大丈夫なのだそうだ。そう聞かされても、観光客は腑に落ちない。墓地などそっちのけで議論がはじまる。

 

新しい墓地から村にむかって歩きながら、さらに話題はイヌイットの生活や風習に及ぶ。こちらが日本人と知ってか、イヌイットとアイヌの共通性についてガイドは得意げにしゃべってくれたが、同意を求められてもアイヌのこともよくしらないので、なんとも答えられない。蒙古斑があるとか、口琴を奏でるところが似ているというのはわかる。名前についても同じだろう、といわれても、こちらの知識は、国立民族博物館でみたアイヌの家屋や祭りのときの飾りくらいしか思い浮かばない。民俗学専攻でもなく、あきらかに勉強不足。

村の手前に池がある。ここの水が村の水源だそうだ。もうひと丘越えると、古い墓地の向うに赤、黄、青など原色に塗られた家々が見えてくる。

戸数数十件。明るい夏の日差しのなか、船を修理する人たち。その横には、打ち上げられた氷の塊。 道端で日向ぼっこをする人、家の窓から外の友達とおしゃべりしている子供たち。マウンテンバイクを乗り回している子もいる。こんなに天気がいいので、ほとんどの人が外にでているようだ。

村の中心には、郵便局とスーパーが1軒。スーパーで、この村に必要なものすべてが取り扱われている。ビデオのレンタルもやっている。(といっても10本から20本程度。カンフーものやハリウッドものが多かった。)品物は、夏の間3回訪れるデンマークからの船で運ばれてくる。注文し忘れると、翌年までお預けだ。食品系はほとんど冷凍食品。野菜は隅のほうに少しだけ置かれていて、ほとんどがじゃがいもなどで葉ものはなし、果物はしなびたりんご位。防寒衣類や靴は必需品だが、1,2種類のみ。その他、ライフル銃など猟に必要な物品が売られていた。

村を見下ろす小高い丘の上に、おじさんが2人座っていた。遠くを見張っているように見える。猟にでるとき、取り分が一番多いのは、獲物を発見した人だという。生きるための視力と集中力。

冬の猟にかかせない犬たち。犬ぞりを引くための犬なので、ペットではない。家の脇につながれた犬たちは、お昼時になると、そこら中でほえはじめて、ごはんの催促だ。エサはアザラシの肉など。各家の裏や一階部分は、物置兼食料貯蔵庫として使われているようだ。肉を適当な大きさに切り分けて、犬の前のかなだらいに投げ込まれる。

猟にいまだに犬ぞりを使っているのには理由がある。スノーモービルを使えば確かに効率はよい。が、スノーモービルを購入できる人とそうでない人の格差がでるのを防ぐためだという。

猟の獲物は、あざらしや北極熊だ。北極熊は年に数頭。獲物の配分は伝統にしたがってきちんと決められているという。

北極熊が現れる海。氷河。夏でも、氷山が海を漂う。カヤックのデモンストレーションがはじまった。あざらしの皮などで作ったカヤックを海に浮かべ、銛を投げるデモだ。現在では、伝統的なカヤックは使われず、プラスチック製のものか、カヤックではなくボートででかけるという。カヤックを使った猟は夏の間のみ。冬は犬ぞりだ。

Kurusuk村のWalking Tourは、このあと太鼓のパフォーマンスがあったようだが、ホテルに戻って四駆に乗りかえ、レーダー基地跡に向かう。湾の入口に位置するKurusuk村のある島は、入り江の内側に村があり、外洋に面したところに数百メートルの山が聳える。その頂上がレーダー基地跡だ。往時には、数千人の駐屯があったそうだが、冷戦後、基地は撤去され、今残っているのはコンクリートの土台と気象観測用の小屋だけだ。

山の上の住人は”風”。外洋に広がる海の上で、氷山が溶けて崩れる音がこだまする。数キロはなれた山頂でも聞こえるほどの大音響だ。

ホテルのマネージャーの娘2人が車に乗り込んできていたが、斜面でBerryを摘み始めた。背後には氷山。Berryは、ちょっとすっぱいが、大地からの貴重な贈り物だ。

 

四駆ツアーのあと、昼ごはん。

昼ごはんのあとは、ボートで氷河ツアー。ツアーはすべてホテル主催のオプショナルツアー。でも他にすることもないので、ほとんどの人が参加している。四駆ツアーの面子に、スペインからの団体客が加わって、3艘のボートに分乗してでかける。海は静かで、海面は鏡のように滑らかだ。その上に、氷の塊と、海草がぼつりぼつりと浮かんでいる。北の海は豊穣だというが、

ホテルからも見えていた氷河に到着。グリーンランドは氷で覆われた地球最古の大地。氷の厚さも数キロ。その重さたるやすさまじい。氷の重さで大地がへこんでいる。

氷河の先端からは陽の暖かさで解けた氷が時々音を立てて崩れていく。氷河の縁も溶けかかっているので、歩くときは要注意だ。下手をすると泥だらけになる。と経験者は語る。大小さまざまな石が転がっている。氷河は近くで見ると、さほど美しいものではない。氷も川のように流れる。ただ、流れが非常に緩やかなだけだ。氷のパワーは水のパワーより大きいのだろうか。

ボート同士競争しながらホテルに戻る。防寒万全で出かけたつもりだったが、帰りのボートの中は、みんな寒さで押し黙ったままだった。

夕食はバイキング形式というかセルフサービス。メニューは1つしかない。これでもかというほど硬い肉片。解凍しました!の味気ない野菜。粉から戻したマッシュポテト。塊から削りだして食べるチーズ、ハム類。コーヒーと紅茶。。。選択できるという贅沢はここにはない。テーブルの上もあっという間に片付けに来る。イヌイットのおばさんの役目とはいえ、あまりにもそっけない。

窓からはいつまでも明るい空が広がっている。気温が下がるにつれ、次第に霧が立ち込めてくる。同じツアーになったドイツ人夫婦とイギリス人会計士とワインを飲みながら、ヨーロッパの政局についての四方山話だ。ヨーロッパの話も、政治の話も、窓の景色とマッチしない。ずいぶんと遠くの非現実的な話にしか聞こえない。部屋に戻れば、衛星放送TV番組が見られる。といっても2チャンネルのみ。テレビも絵空事にしか感じられない。窓からぼーっと近くに浮かぶ氷の塊を眺めつつ、アイスランドで買ったHalldor LaxnessのAtom Stationを読む。Greenlandより、Icelandのほうがヨーロッパに近い。というか生活自体がヨーロッパ的だ。音のない世界で、眠りにつく。

朝もセルフサービス。パン、チーズ、ジャム、ミルクもない。空一面白い。曇っているというより、雲の中だ。日が昇れば、霧は晴れるだろう。昨夜のおばちゃんが間髪いれずに片付ける。昨日の子供たちは、階段で走り回っている。毎日がこの繰り返しなのだろうか。ホテルのフロントのカウンターの横に、「ロッキングオン」が置いてあった。昨年春にやってきた日本人が置いていったものらしい。世界中をまわって数十カ国目だとノートに記してあった。1週間ほど滞在していったらしい。なんだか、時が流れてるんだか流れていないんだか、感覚が狂ってくる。

出発までの1時間。ホテルの周りを散歩する。ツンドラの大地は、色とりどりのMOSSに覆われている。しかし、これほど歩きづらいとは思わなかった。ふかふかの絨毯の上を歩いている感じなのだが、突然水浸しになったり、岩の上で滑りそうになったりする。たくさんの生物が、こんなに薄い地面に必死に生きている。踏んでしまうのがなんだかとっても申し訳ない。よくよくみると、本当に色とりどりの葉や花をつけている。足元と、遠くの海面の氷の塊と、さらに遠くの氷の大地を、交互に見ながら、1歩1歩進んでいく。

   

チェックアウトして、空港まで2分のドライブ。空港の売店では、地元学生が買い物をしていた。ホッキョクグマの絵柄のバンクカード。Bank of Greenland。クレジットカードでの支払いがほとんど。しかし、バンクカードとしては可愛い過ぎるかも。KurusukホテルのTシャツを1枚お土産に買って、グリーンランドを後にする。


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